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諏訪高島城と諏訪の歴史|「浮城」と呼ばれた理由と戦国時代の話

諏訪湖の近くにある高島城は、かつて「諏訪の浮城」と呼ばれていました。
なぜここの場所に城を築いたのか気になり、諏訪の戦国時代について調べてみました。
武田信玄、織田信長、明智光秀まで登場する、意外とドラマの多い場所です。

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諏訪高島城へ行ってみた

今回の諏訪旅行で訪れたのが高島城です。
上社本宮を巡ったあと、上諏訪方面へ移動。その後、高島城へ向かいました。

現在の高島城は、天守閣や櫓、門などが復元されています。
城跡は高島公園として整備されていて、JR上諏訪駅から徒歩約15分です。

なぜ「諏訪の浮城」と呼ばれたの?

高島城について調べていて気になったのが、「諏訪の浮城」という名前。本当に湖の上に建てたの?と思いますよね。

諏訪の高島城

現在の高島城は湖畔から少し離れた場所にありますが、築城された当時は、もっと諏訪湖に近い場所でした。

当時の高島城は、諏訪湖や湿地に囲まれた島のような場所に築かれていたとされています。まるで水の上に浮かんでいるように見えたことから、「諏訪の浮城」と呼ばれるようになりました。

高島城はいつ、誰が築いた?

高島城が築かれたのは、安土桃山時代。築城したのは、日野根高吉(ひのね たかよし)です。高島城は1598年ごろに完成したとされています。この時代の諏訪は、戦国時代から大きく状況が変わっていました。

「諏訪=諏訪氏」というイメージがあるかもしれませんが、戦国時代の諏訪は武田氏の支配を受け、その後も領主が変わっていきます。

諏訪氏と諏訪大社

諏訪氏は古くから諏訪を治めてきた一族。そして、諏訪大社とも深い関係があります。

今回、諏訪大社の四社を巡ってみると、神社だけではなく「諏訪という土地そのものの歴史」が気になってきました。

諏訪大社は、

  • 上社前宮
  • 上社本宮
  • 下社春宮
  • 下社秋宮

の4社からなります。

上社と下社を実際に巡ってみましたが、神社の歴史を調べていくと、武田信玄など戦国武将との関わりも出てきます。

武田信玄と諏訪

戦国時代、甲斐の武田信玄は諏訪へ進出します。
諏訪氏の当主・諏訪頼重は武田氏との戦いに敗れ、その後、諏訪は武田氏の支配下に入ります。

武田信玄は甲斐から信濃へ進出していくうえで、諏訪は交通・軍事の両面で重要な位置と考えました。
諏訪大社との関係も深く、武田信玄は諏訪大社を保護しました。

諏訪大社は織田信長の時代に大きな被害を受けた

1573年に武田信玄が亡くなったあと、武田氏は次第に勢力を失っていきます。

そして1582年、織田信長の軍勢による甲州征伐が行われます。このとき諏訪も大きな戦乱に巻き込まれました。

織田信忠の軍勢によって上社本宮が焼かれたと言われています。実際に上社本宮を歩いたあとだったので、「戦国時代の戦乱に巻き込まれたんだ」と思うと、見方が少し変わりました。

現在の立派な社殿だけを見ていると、そんな歴史があったなんて思いもよらなかったです。

織田信長が諏訪に14日間滞在した

織田信長自身が諏訪に滞在していたこともありました。1582年、武田氏を滅ぼした信長は、諏訪へ入ります。

そして諏訪の法華寺に滞在しました。その期間は14日間。このときの諏訪で、後の本能寺の変につながる有名な話が残っています。

明智光秀と諏訪の話

ここからまた有名な人物が出てきます。明智光秀です。

織田信長が諏訪に滞在していたとき、明智光秀が信長から折檻されたという有名な逸話があります。「中国地方の戦いについて叱責された」という話などが伝わっています。

そして、その約2か月後に起こったのが本能寺の変。「諏訪で信長に怒られたことが、本能寺の変の原因になったのでは?」とも言われています。

武田氏が滅びたあと、諏訪の領主は変わっていく

織田信長が本能寺の変で亡くなったあとも、諏訪は徳川氏や豊臣氏など、時代の大きな流れの中で領主が変わっていきます。
そして1590年代、豊臣秀吉の時代に諏訪へ入ったのが日野根高吉です。

高吉によって築かれたのが高島城でした。

高島城が築かれた場所がすごい

高島城を実際に見ると、今は普通の城跡公園のように見えます。築城当時の高島城は諏訪湖の湖畔に築かれ、湖と湿地を利用した天然の要害になっていました。

周囲を水に囲まれた場所なので、敵から攻められにくい。だから「浮城」と呼ばれたわけです。

どうして天守閣が本丸の真ん中にないの?

高島城を見ていて、私が気になったのがこれ。普通、お城の天守閣って本丸の中心にあるイメージがあります。

でも高島城の天守は、本丸の中央ではなく、本丸の隅に建てられていました。これは高島城が水城だったこととも関係しています。城は単に「天守を見るための建物」ではありません。敵から守るために、堀や石垣、門、櫓などを組み合わせて造られています。高島城は、湖や湿地そのものを防御に利用した城。そのため、天守の位置も「本丸の真ん中に建てる」という現代のイメージとは違っています。
こういう城の造りを見るのも面白いです。

城そのものを見るだけなら、そこまで時間をかけなくても回れます。諏訪大社上社本宮を訪れたあと、上諏訪方面へ移動して、高島城を組み込むルートも考えやすいと思います。

レンタカーを使わなくても行けるので、今回のような公共交通中心の旅行にも入れやすい観光スポットです。

高島城は、現在の姿だけを見るときれいな復元城ですが、築城当時の姿を知ると見方が変わります。

私は上諏訪駅のホテルに一泊し、二日目は諏訪大社下社の二社を巡りました。
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